こんにちは!
デザインこねこの長嶺喜和です。
4/13 (土)にかまぼこ通りで行われた「軒先市」に、弊社の物販事業「LOBBY ODAWARA」で参加させていただきました!とてもいいお天気で気持ちが良かったです。ちょうど、小田原市のかまぼこ通りでは、神奈川にある全13蔵のお酒を楽しむことができる「さくら新酒めぐり2024」が開催されていたこともあり賑やかでした。弊社でデザインさせていただいた、中井町の石橋さんのにんじんジュースも好評だったのですが、何より石橋さんが作ったお野菜が、とても立派で美しく、大人気でした!(石橋さんのホームページはこちらから)
また参加させていただきます!
弊社で、分割払いができるようになりましたのでお知らせいたします。
【お支払い方法をお選びいただけるようになりました】
[ご一括・分割引落し・クレジットカード・QR決済 等]口座引き落としの分割でのお支払いが可能になりました。また、各種クレジットカードや、QR決済などにも対応いたします。ご希望の決済方法をお伝えください。
制作事例のご紹介
今回は、学校法人 三幸学園 小田原短期大学 様の、広報誌「こみねの風」をご紹介しました。
制作内容:
A4サイズ 24ページ冊子
「こみねの風」は、小田原短期大学の、同窓生、現役学生、保護者の皆様、教職員の方々の各代表団体様が合同で発行されています。私たちは、取材から、冊子のデザインや編集をさせていただいております。2021年から制作させていただき、今回で第4号になりました。
ぜひご覧ください。
【一週間のAI / ITニュース】
4/10〜4/16までのAI / IT関連ニュースを一部、お知らせします。
4月15日
ChatGPTを運営するオープンAIは、アジア初の拠点となる「東京オフィス」を開いたと発表しました。オープンAIが米国以外に拠点を設けるのは、英国とアイルランドに続いて3カ所目となります。
無印良品初代アートディレクター田中一光さん
今回ご紹介する、日本を代表するグラフィックデザイナーは、タイポグラフィとして格調高い、「光朝」フォントを作り出したり、1968年に発売された、DICカラーガイドの色票の選定にも貢献している、日本のデザイナー界の巨人、田中一光(いっこう)さんです。
田中一光さんは、無印良品のアートディレクター、SEIBUグループのクリエイティブディレクターを務められていました。
また、日本のデザインの源流といわれる「琳派」の世界に触発され、そのエッセンスを継承した作品を多数生み出しました。私も以前、ポスター展を見に行ったことがありますが、堂々としていて迫力があり、圧倒されました。
主な代表作はこちらです。
・西武百貨店(ショッピングバッグ)
・無印良品(ロゴタイプ)
・ロフト(ロゴ)
・Nihon Buyo UCLA(ポスター)
・JAPAN(ポスター)
その中から、無印良品のアートディレクションについて、今回はご紹介させていただきます。
無印良品
無印良品は1980年の日本に、消費社会へのアンチテーゼとして生まれました。
当時の日本は、「売るため」に、モノ自体が本質から切り離されていた時代でした。そのような状況のカウンターとして、「無印」という立場に「良品」という価値観をつけて誕生した、概念です。
元々、西友のプライベートブランドであり、田中一光さんと、当時のセゾングループの代表 堤清二さんが発案してプロジェクトが始まりました。田中一光さんは、無印良品の初代アートディレクターということになります。
田中一光さんは、「無印良品は最良の生活者を探求するために作られた」とおっしゃったそうです。
企業からの目線であれば、「最良の商品を生活者に提供する」というのが普通なのですが、無印良品の場合は、真逆の考え方です。無印良品というのは、最良の生活者の「感じ良いくらし」に合わないものは売りたくないという考えのため、生活者の目線で商品を開発し、提供することにしたそうです。
なぜそのような考えなのかというと、当時の世の中の商品は、低価格を武器にする企業と、表層的なデザインや、テレビCMなどで常にスタイルチェンジを行う企業との二極化が進んでいました。過剰な競争の中で本質を失っていて、生活者にとっての自由が失われていました。
そんな中、1983年に港区・青山へ無印良品だけの路面店を作る計画が持ち上がります。店内は木(木材)・金(鉄)・土(土や石)で構成されました。素材は、どれも非常に古く、長年の経年変化の見られる、味わいのある素材で作ったそうです。そのような、自然素材をベースにした内装に、商品は「生成」を基調にしたもので構成した結果、無彩色の集合体の美しい空間になりました。
今でも無印良品はグレーや黒や木の色の空間に、無彩色の商品が整然と並んでいるイメージですよね。
そのコンセプトができたのがこの時だったということですね。
一般的な商品パッケージは、売り場で競合商品よりも目立つようにデザインされていますが、ひとたび家庭に入ると、そのデザインはまったく不要なものになります。購入するところまでが目的のデザインだからです。
無印良品は「アノニマスデザイン」ともいわれる、消費社会以前の無名のデザインを見つけ出し、現代の生活文化に合わせ、少しだけ改良し、適正価格で再生しています。
例えば、ジーパン、野球のボールなどは誰がデザインをしたのかはわからなく、木を切る斧などは、何百年も掛かってあの形になってきました。このようなすたれることなく活かされてきた日用品には、健康的な美しさがあります。
田中一光さんは「簡素が豪華に引け目を感ずることなく、その簡素のなかに秘めた知性なり感性なりがむしろ誇りに思える世界、そういった価値体系を拡めることができれば少ない資源で生活を豊かにすることができる」
という言葉を遺しています。
いかがでしたでしょうか。
日本が、デザインという概念を輸入したのが、1930年代くらいからだと言われています。
田中一光さんは、日本美術の中でデザインの概念に最も近い試みをしていたとされる、琳派からデザイン要素を感じ取り、そのエッセンスを継承しました。
琳派の始祖とも言える本阿弥光悦は、1615年に徳川家康から京都・鷹峯(京都市北区)の広大な土地を与えられ、各分野で活躍する文化人や職人などを集めて「光悦村」と呼ばれる芸術村を開きました。本阿弥光悦は自分の作品を制作する一方で、さまざまな分野の芸術家集団へ、作品製作を指揮していました。
現代で言うところのアートディレクターです。
琳派から田中一光さんが見出し、継承したのは、日本のデザインの源流だと思います。
情報がすぐに手に入る現代、何を見出し、継承していくのかは自由です。自分がどこに軸を持ち、何を継承したいのだろうと、考えるきっかけになりました。
デザインの確認や修正のやりとりについて、今後LINEを主に使用していこうと思っております。
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長嶺 喜和|Nagamine Kiwa facebook
デザインこねこ株式会社 代表取締役社長/クリエイティブディレクター/イラストレーター/デザイナー
1979年神奈川県小田原市生まれ。多摩美術大学情報デザイン学科(一期生)にて、インスタレーションアートを学ぶ。在学中よりウェディングアルバム制作会社の仕事の受託をはじめる。もっと様々なデザインをお客様と直接やりとりをしながらつくりたいという思いから2009年に「デザインこねこ」を創業。小田原地下街「ハルネ小田原」開業プロモーション受注を期に2016年に法人化。その後も、小田原城のリニューアル「小田原城 平成の大改修」のPR全般などをはじめ、小田原市の自治会情報誌「小田原回覧板系フリーマガジン おとなりさん」の発行(自社事業、季刊7万部発行 *現在休刊中)など、小田原市を中心とした西湘エリアにて「地域密着のデザイン会社」として展開を続ける。画家である母の影響で幼少より絵に親しみ、現在は母の主宰するアトリエ・コネコで子どもたちへ向け絵画の講師も行っている。