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さて今回は、小田原出身の賢人「二宮金治郎(尊徳)」さんのルーツを辿る
連載の第2回目。
<度重なる酒匂川の氾濫>
<10代で両親を亡くした金治郎>
この苦難をどう乗り越えていったのか?!
ぜひご覧ください。
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まだ幼い2人の弟を親戚に預け、金治郎は身を寄せた伯父の萬兵衛の家で農業に従事し、夜には読書をし勉学にも励みました。
しかし、ケチな萬兵衛に「燈油の無駄使い」などと度々罵られます。
そこで金治郎は知恵を絞り、堤防に油菜(アブラナ)を植え、菜種油を採り、燈油として活用。
また、稲の捨て苗(田植えの際に余って捨てられた苗)を空き地に植えて収穫し、米1俵の収穫を得ました。
やがて萬兵衛の家を離れ、その後も親戚を転々としましたが、再び生家に戻った金治郎。
それまで地道に増やしていた収益で田畑を買戻しながら、家の修復をし、金治郎が20歳になる頃には、生家の復興に成功しました。
その”財政再建”の手法を活かし、近親者の家政再建を行いつつ、武家奉公人として奉仕にも出た金治郎。
小田原藩の家老・服部家で「五常講」という、のちの信用金庫のはしりともなる、「金融互助制度」を立ち上げ、服部家の立て直しにも成功。
その優れた発想と実行力を小田原藩主の大久保忠真からも見込まれ、財政難に苦しむ藩主の身内である野州(栃木県)桜町領でもその再建を託されます。
その後も様々な場所で財政再建・農村復興を成功させることとなりました。
(次回の【おだわらのいいところ】へ続く…)