おだわらのいいところ130

おだわらのいいところ

小田原出身の賢人と言えば…「二宮尊徳」さん。
薪を背負って読書をする様子を表現した銅像も有名ですよね!
しかし、実際はどんなことをした人なの?

そして、なんで銅像になっているの?と聞かれると

『???』という方も多いのでは?


今回、そのルーツに迫りたいと思います!


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1787年7月23日、百姓だった二宮利右衛門の長男として、相模国足柄上郡栢山村(現在の小田原市栢山)に生れる。
ちなみにお名前に関して…一般的に、「そんとく」という読み方で定着していますが、正しくは「たかのり」といい、通称「二宮金治郎※」とも言われ、江戸時代後期に活躍した、農政家です。

(「※「金次郎」と書かれることも多いようですが、正しくはこちらだそうです)


田畑と邸を多く所有し、比較的裕福だったという一家に、金治郎が5歳の頃、悲劇が襲います。
南関東に暴風が直撃し、付近を流れる酒匂川の堤防が決壊。金治郎の住む東栢山一帯が押し流され、父の田畑や家が流出してしまいました。
そんな中、一家は開墾に従事し田畑は数年で復旧。しかし、借金を抱えながらの作業に、家計は楽にはなりませんでした。


その後、父は眼病を患い、病気が悪化し、亡くなってしまいます。

また母は金治郎の幼い弟を2人抱えていたため、14歳の金治郎は、朝早くから久野山へ薪を取りにでかけ、夜は村人たちに配るための、草履を手作りするなどし、一家の生計を支えていたそうです。
しかし、その後金治郎が16歳の時に母も亡くなります。2人の弟を母の実家に預け、自らは伯父のもとへ身を寄せることとなりました。
そして、この年にまた酒匂川が氾濫。金治郎の土地はまたもや水害に襲われてしまうのでした…


(次回の【おだわらのいいところ】に続く…)