【多彩な才能のイラストレーター 和田誠さん】

メールマガジン/バックナンバー

こんにちは!
デザインこねこの長嶺きわです。

8月3日は酒匂川の花火でしたね!私は、19時までアトリエ・コネコで絵を教えていたので、レッスンが終わってから、徒歩で向かっている途中で花火大会が始まってしまい、民家の上に打ち上がる花火を眺めながら会場へ向かいました。途中、近所の方が家の前の道路に、椅子と蚊取り線香を出して花火を見ていらっしゃり、地域の花火という感じがしてとても良かったです。開催中に無事に到着することができ、間近でフィナーレを観ることができました。写真は酒匂川の花火と、中井町の農家さん(石橋さん)にいただいた大きなスイカと、市民農園で採れた野菜です。

制作事例のご紹介

今回は、秦野ガス様のショールーム cuoreレッスンガイドをご紹介します。

制作内容:A3サイズチラシ 長辺二つ折りクロス外四つ折り加工

こちらからご紹介ページをご覧ください

2017年から、年に4回、秦野ガスショールーム「cuore(クオーレ)」様のお料理・カルチャー教室のレッスンガイドを制作しています。

今回の表紙は、スイーツレッスンクラスのパリ・ブレストの写真です。少人数制のリラックスした雰囲気を感じていただくために、「Lesson Guide」と「2024.10_11_12」の文字は手書きしたものをスキャンしてデザインに取り込みました。ぜひご覧ください!

【一週間のAI / ITニュース】

7/31〜8/6までのAI / IT関連ニュースを一部、お知らせします。

8月2日
米IT大手5社、フェイスブック(現メタ)、アップル、アマゾン、マイクロソフト、グーグルの2024年4~6月期決算が出そろいました。各社とも増収増益でAI分野への投資を急増させており、投資に見合った収益が得られるかに懸念も広がっています。改めて顕著になったのが、AI分野での投資の急増だそうです。最新のAIの開発や運営には、高額の画像処理装置(GPU)や巨大なデータセンターが必要となり、各社が投資合戦を繰り広げています。

多彩な才能のイラストレーター 和田誠さん

今回は、イラストレーション、グラフィックデザイン、アートディレクション、装丁、映画(監督、脚本)、絵本、アニメーション、作詞・作曲、俳句、落語など、幅広い分野で活躍した、和田誠さんをご紹介します。

和田さんの代表作

・40年間2000冊を超えた『週刊文春』の表紙デザイン
・4年間200冊を超えた『週刊サンケイ』の表紙の著名人の似顔絵
・レコードジャケットのデザイン
・大阪万博の住友童話館の人形デザイン
・谷川俊太郎の絵本
・星新一著作の挿絵

独立するまで

和田誠さんは、1936年に父の赴任先である大阪で生まれました。父は、日本における音響効果の創始者であり、築地小劇場では創立メンバーの一人として音響や照明を担当し、のちに「ラジオの神様」と呼ばれた和田精さんです。1944年、和田精さんは当時勤めていた現在のNHK大阪放送局を解雇されました。第二次世界大戦末期のことです。理由は不明ですが、和田精さんの知人は「築地にいたから思想的に危険人物だと思われたのではないか」と発言しています。1945年、父が失業し、一家で父の実家である東京都世田谷区代田に転居。しかし、和田誠さんは家族と離れて千葉県に疎開し、そこで敗戦を迎えました。

その後、東京に戻り、世田谷区の小学校に通います。そして多摩美術大学の図案科(現デザイン科)に入学しました。1957年、大学3年生の時に、日本初のグラフィックデザイナーの職能団体である日本宣伝美術会が開催していた日宣美賞に応募し、一等の日宣美賞を受賞します。受賞作はクロード・オータン・ララの映画を題材にした手描きのポスター「夜のマルグリット」です。この作品は後にイラストレーターとなる山口はるみさんにも大きな影響を与えました。

1959年、当時まだ珍しかったデザイン専門の会社、ライトパブリシティに入社し、デザイナー兼イラストレーターとして活躍しました。会社には田中一光さんや細谷巌さんといった一流デザイナーの先輩がおり、大いに刺激を受けました。タバコの「ハイライト」のパッケージをデザインしたのもこの時代です。

「ハイライト」をデザインした後、同じ専売公社から「ピース」の雑誌広告を依頼されます。得意な絵を活かしたいと思っていた和田さんは、毎月掲載される広告を一コマ漫画的な連作で表しました。短いキャッチコピーとともに描かれたそのイラストレーションは、1961年7月から1964年3月まで続けられ、多くの雑誌読者に親しまれました。

和田さんは1968年にライトパブリシティを退社しました。その後、1965年から1995年にかけて、編集者の矢崎泰久さんから声をかけられ、雑誌『話の特集』の創刊に関わり、1995年の休刊までアートディレクターを務めました。その後はフリーランスとなり、「週刊文春」の表紙星新一さんの著作の挿絵などを手掛けました。

装丁の仕事が増えるきっかけは、講談社から依頼された遠藤周作さんの『ぐうたら人間学』の装丁で、遠藤周作さんをコミカルに描いた装丁でした。その後、ぐうたらシリーズは和田さんが手がけることになりました。
その後、星新一さんをはじめ、村上春樹さん、阿川佐和子さん、三谷幸喜さんなど、多くの作家の装丁を手がけるようになりました。

星新一さんとのこと

和田さんは、星新一さんの挿絵や装丁の仕事を始める前から、星さんのショートショートのファンだったそうです。和田さんは、1963年から1966年の新人時代に、私家版の絵本を自費で作っていました。その時、星さんに絵本のためにショートショートを書いてほしいと思っていたそうです。和田さんが挿絵の仕事をたくさんしていた児童文学作家の今江祥智さんに「自分の絵本の原作を星さんに頼めたらいいな」と話していたところ、今江さんが星さんに連絡を取ってくれたそうです。

ある日、当時勤めていたライトパブリシティに「星新一ですけど」と星さんご本人から電話がありました。「なにか僕に頼みたいことがあるんですって?」と尋ねられ、「そうなんです」と答えると、「家にいらっしゃい」と招かれました。星さんは丁寧に電車の路線や降りる駅、道順を教えてくれました。初対面の日、和田さんはとても緊張していたはずですが、若気の至りもあり、「自費出版の絵本のためにショートショートを書いてほしい、ただし原稿料は出せない、その代わり出来上がった本を何冊でも差し上げます」と伝えたそうです。それから10日もしないうちに、分厚い封筒が届きました。それが名作『はなとひみつ』だったそうです。

『はなとひみつ』以来、星さんの指名で挿絵を描くことが多くなったそうです。星さんが指名するイラストレーターは、和田さんと既に大活躍していた真鍋博さんの2人だけで、若い人向けと思われるものは和田さんに声がかかっていました。星さんはエッセイで「和田さんのおかげで中学生にまで読者が広がった」と書いてくださったことがあり、和田さんは嬉しく思っていたそうです。

星さんの作品は最後にオチがあり、そのオチが面白いのですが、イラストレーターはそのオチの部分を描いてはいけないのだそうです。しかし、ほとんどのイラストレーターはそのどんでん返しのところを絵にしたいと思い、描いてしまうのだそうです。読者が読む前に本をパラパラとめくることがあり、そうすると活字よりも先に絵が目に入り、オチが分かってしまうからです。星さんはそういう挿絵を描かない人がいいと思い、和田さんと真鍋博さんを指名していたそうです。

いかがでしたでしょうか?
多彩な才能の持ち主、和田誠さんをご紹介しました。

今回ご紹介したのは特にイラストレーターとしての部分ですが、和田さんは映画も作っており、作詞作曲も手掛けています。どれも一級品と言われています。

奥様の料理愛好家である平野レミさんは、自分も和田さんの作品だとおっしゃっていました。レミさんは、新婚の時に、和田さんの仕事の領域に自分が入れないことを知り、「夫婦とは一心同体」と思っていたので驚いたそうです。和田さんは仕事のことを一切家では話さず、仕事場にも呼んでくれず、とてつもない壁を感じたそうです。和田さんがそんな世界を自分で持っているのだから、自分も自分の世界を持たないと大変だと思い、お料理に本腰を入れたそうです。そんなレミさんに和田さんはたくさん助言をしてくれ、感謝していたそうです。

和田誠さんの描くイラストの線はシンプルですが、とても丁寧愛情が感じられます。まさに魂が宿っているイラストだと思います。私も星新一さんを愛読していましたが、その世界観を思い浮かべるとき、和田さんのイラストの要素がかなり入っていることに気づき、挿絵とはすごいものだと再発見しました。

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長嶺 喜和|Nagamine Kiwa  facebook

デザインこねこ株式会社 代表取締役社長/クリエイティブディレクター/イラストレーター/デザイナー

1979年神奈川県小田原市生まれ。多摩美術大学情報デザイン学科(一期生)にて、インスタレーションアートを学ぶ。在学中よりウェディングアルバム制作会社の仕事の受託をはじめる。もっと様々なデザインをお客様と直接やりとりをしながらつくりたいという思いから2009年に「デザインこねこ」を創業。小田原地下街「ハルネ小田原」開業プロモーション受注を期に2016年に法人化。その後も、小田原城のリニューアル「小田原城 平成の大改修」のPR全般などをはじめ、小田原市の自治会情報誌「小田原回覧板系フリーマガジン おとなりさん」の発行(自社事業、季刊7万部発行 *現在休刊中)など、小田原市を中心とした西湘エリアにて「地域密着のデザイン会社」として展開を続ける。画家である母の影響で幼少より絵に親しみ、現在は母の主宰するアトリエ・コネコで子どもたちへ向け絵画の講師も行っている。